ニューヨーク・ブルックリン生まれ。アレクシス・ビッターの今日のキャリアは自宅前の通りで花を売ることから始まりました。 1980年代の初め、マンハッタンのイーストビレッジに移り住んだ頃からヴィンテージクロージングやアンティークジュエリーを仕入れ、販売を始めます。この経験から、特に年代的には‘30s -‘40s 、デザイン的にはアールデコを代表するガラス芸術家ラリックにインスパイアされ、ベークライト(合成樹脂)と融合させたジュエリーコレクションを発表します。 彼の“ルーサイトコレクション”は彼の好むフォルム・テクスチャー・色彩そして光線をミックスさせて完成したものと言えます。全ての商品はひとつひとつ手で彫られ、スキルの高いアーティスト達によってペイントされているのです。丁寧に彩色されたそれぞれの色が、重ねたレイヤーを通して魅惑的に輝いて見えるのが特徴。 アレクシス・ビッターのジュエリーは常にファッション誌・メディアに数多く取り上げられ、セレブリティーのクライアントには、Madonna, Cameron Diaz, Naomi Watts, Barbara Walters, Oprah Winfrey, Karl Lagerfeld など多くの著名人が名を連ねています。
フィンランド、クオルタネ生まれ。1921年、ヘルシンキ工科大学建築学科を卒業し、いくつかの都市を経て1933年にヘルシンキで設計事務所を開設しました。フィンランド建築家協会の会長を長く務め、マサチューセッツ工科大学でも教鞭をとり、1955年からはフィンランド・アカデミーの会員、1963〜1968年は同アカデミーの会長に就任。20世紀フィンランドを代表する建築家・デザイナーとして地域性と国際性、モダンな建築と伝統的な様式、機能性と芸術性、自然と都市のバランスを大切にした設計・デザインを貫きました。都市計画から建築、家具、照明、テキスタイル、ガラス製品まで幅広いデザインプロジェクトに関わりましたが、それらのすべてが全体に調和して存在していることがアールトスタイル。小さな生活雑貨や一脚の椅子が大きな建築物や空間に醸し出す空気感まで視野に入れ、何よりも「ひと」を中心に置いた設計・デザインによって世界の匠として語り継がれています。天然の素材で描くオーガニックなフォルムは、1936年のパリ万博コンペティションで入賞した花瓶で広く知られ、MoMAのパーマネントコレクションに収蔵。その後発表した曲げ木の家具などは現在も生産・販売され、1998年には生誕100年を記念してMoMAで特別展示を開催しました。
アメリカ、ロサンゼルス生まれ。少年時代を父の国日本で過ごした後、渡米。コロンビア大学で医学を専攻する一方、レオナルド・ダ・ビンチ美術学校で彫刻を学び、奨学金でパリに渡ってからは1927年に抽象彫刻家のコンスタンチン・ブランクーシの弟子になります。彼の作品の源は東洋と西洋、古代と現代、実践と理想、社会と個人など対立する概念のもたらす緊張感。石、木、紙、水、光などさまざまな天然素材を取り入れて、シンプルなフォルムを情熱的に表現しました。1947年にはハーマン・ミラーのディレクターであったジョージ・ネルソンの依頼でノグチ・テーブルを発表。1946年、MoMAの「14人のアメリカ人展」に出品。1951年に発表したAKARIシリーズはロングセラーを続けています。日本では岡本太郎、北大路魯山人、丹下健三、猪熊弦一郎、勅使河原蒼風などと交流。その作品は彫刻から家具、照明、公共スペースや庭園など多岐に渡り、「地球を彫刻した男」とも言われています。1985年、ニューヨークにイサム・ノグチ・ガーデン・ミュージアム開設。日本では香川県のアトリエがイサム・ノグチ庭園美術館として公開されています。
イタリア、ノヴァーラ生まれ。ミラノのブレラ美術アカデミーを卒業後、ミラノ工科大学やカッラーラ造形芸術アカデミーでの教師も務め、1950年初頭から視覚芸術アーティストとしての活動を続けています。ミッド・センチュリー・モダンを代表するブランド、ダネーゼ社が作った木製の子ども向けパズルやプラスティックのステーショナリー、フォントからフォルムまで完成度の高いカレンダーなどは、今でも人気の高い製品。妻のイエラ・マリと作った知育絵本「リンゴとチョウ」などの出版やグラフィックデザインも手がけています。家具や家庭用のプロダクトデザインに集中してからはアルテミデ社、ドリアデ社、ノール社、ICF、オリベッティ社、ル・クルーゼ社などにデザインを提供。MoMAのデザインコレクションにはエンツォ・マリの作品が数多く収められています。
アーティスト、ジュエリーデザイナーとしてキャリアをスタート。1979年にパートナーのキャシー・モスカルとストッキングやレッグウォーマーを生産するHUEを設立。その後14年間、レッグウエア製品に初めて多彩なカラーを取り入れ、天然繊維にライクラをブレンドして新素材を開発するなど、画期的な発想によるデザインとパッケージ、品揃えを発表して眠っていた産業をよみがえらせました。1996年には自分のスタジオをニューヨークに開設し、その独創的なカラーパレットセンスを一般家庭用品に展開していきます。新しい繊維や技術を使った実験的な試みと色彩感覚の出会いから誕生した初の製品コレクションが「レイボウルズ」。1998年のニューヨーク国際ギフトフェアで最優秀ニューデザイン賞、1999年にはアメリカ工業デザイナー協会からも賞を授与されました。さらに、彼女の挑戦はPLYNYLという新しいテキスタイルをハンドバッグやテーブルマット、フロアマットに展開するプロジェクトへと発展。2001年にはインターナショナル・コンテンポラリー・ファニチャーフェアでICFF賞を獲得しています。
ロンドン出身のモリソンは、ロンドン王立芸術学院とベルリン芸術大学でデザインを学びました。1986年にロンドンにデザイン事務所を構え、翌年にカッセルで開かれたドクメンタ8展に作品が展示されたことでロイタース 1995年、モリソンの事務所はハノーバーの新しいトラムのデザインを担当する契約を獲得しました。これは当時のヨーロッパで最大の路面電車の製造契約でした。最初の車両は1997年にハノーバー工業展示会で発表され、iF運送デザイン賞とエコロジー賞を獲得しました。『デザインイヤーブック1999』の編集者も務めたモリソンは、デザインイヤーブックを補足する『State of Things』展を開催。2000年のパリデザイン展示会では年間デザイナーに選ばれ、パレルモでマーク・ニューソンとマイケル・ヤングとともに、アテネのデステ現代美術財団でニューソンとともに展覧会を開きました。最近のプロジェクトには、ロンドンのテート・モダンの家具のデザイン、ロウェンタ社のキッチン器具シリーズ、マジス社のエア=チェアとエア=テーブル、アレッシ社の新しい調理器具シリーズのポッツ&パンズがあります。又,2003年オープンした東京の新名所六本木ヒルズには、屋外チェア-をデザイン。ジャスパー・モリソン社は、現在ロンドンとパリに拠点を置いています。
アメリカ人デザイナーであり作家であるバーバラ・フラナガンは、エール大学で建築家としての教育を受け、ニューヨークタイムズ、メトロポリス、I.Dを含む多数の出版物でデザインについての記事を手がけました。彼女の近年のプロダクトデザインのキャリアは、彼女が工場と仕事をしていた頃にデザインした建築インテリアや、建築素材の新たな効用を産み出した経験に起因しています。その全ての作品において、ユーモア、驚き、工夫が盛り込まれています。
何時の時代にもパイオニアと呼ぶにふさわしい人物がいますが、Jacob Jensenは従来の世界や、モノの見方、といった常識を覆したデザイナーの1人です。 過去50年間、彼は全てのオブジェクトをいかにして親しみやすい使いやすいものにできるか、に挑戦し続けてきました。それは生活の場で使うミュージックシステムであったり、オフィス空間の電話機、身につける腕時計、日常のキッチンツール等々数限りないプロダクツへと広がりました。「デザインは万人に理解される言語である」の言葉通り、彼の哲学はJacob Jensenブランドに今なお反映し続けています。
ページ・グールリックはニューヨークをベースに国際的に活動する、建築家及びインテリア・プロダクトデザイナーです。空間、構造、プロダクトをデザインするのに革新的な素材を用い、クリーンでエレガントなフォルムを作り出す事で評判を呼びました。彼女は合理的に問題を解決する事、前提条件を見つめ直す事、本質的な機能を大切にする事でデザインへアプローチしています。 彼女がデザインしたMoMAのPage1シリーズは、フォルムのシンプルさと繊細に仕上げた表面を併せ持ち、それぞれがもつ機能的役割に美的価値を加えています。
ベリーニは建築家であり、イタリアの最も多才で影響力のあるデザイナーの一人。1928年創刊の建築・デザイン誌“ドムス”の編集長を、1986年から91年まで務めていたことでも知られています。タイプライターに代表されるオリベッティ製品、カッシーナやB&Bイタリア、ヴィトラなどの家具、ブリオンヴェガやヤマハの電気製品、アルテミデ、フロス、エルコの照明など数多くの名作をデザイン。金属フレームを上質の革で包み込んだキャブチェアに代表される、構造的パーツに一枚の「肌」を与えるような独自の手法は、彫刻風で美的な感覚を刺激する品格を家具や工業製品にもたらすことに成功しています。
チャールズはアメリカ、ミズーリ州、レイはカリフォルニア州生まれ。ミッド・センチュリー・モダンの巨匠と称される夫妻は家具だけでなく、建築、映画、グラフィックなど20世紀のデザイン界に数々の金字塔を残しています。1925年からワシントン大学建築科に在籍したチャールズは、1930年にセントルイスで建築事務所を開設。1936年からクランブルック・アカデミーの研究生に招かれ、1940年に入学したレイと出会います。同じ年、MoMA「オーガニッック・インテリア・デザインコンペ」にエーロ・サーリネンとの共同でエントリーしたプライウッド(成形合板)の椅子で優勝。制作をサポートしていたレイと翌1941年に結婚してからは、2人の共同作業をスタート。第二次世界大戦中はアメリカ海軍から依頼された負傷兵の脚の添え木を開発するプロジェクトで、プライウッドの技術を進化させました。終戦の1945年、伝説となる椅子を発表し、1946年には「イームズデザインの家具展」をMoMAが開催。ジョージ・ネルソンがディレクターを務めるハーマン・ミラー社と契約してから2人が発表した家具の多くは、MoMAのデザインコレクションに収められています。
ハンガリー、ブダペスト生まれ。1956年にアメリカに移住し、ニューヨークの有名書店バーンズ&ノーブルで働き始め、1979年にデザイン会社M&Coを設立。妻のマイラとの共同制作を通じて、前衛的コンセプトによる作品を発表する伝説的な会社に成長しました。バーンズ&ノーブルのトートバッグや、ロックバンド「トーキング・ヘッズ」のアルバムジャケット、アンディ・ウォーホールが創刊した「Interview」やベネトン社の「COLORS」などの雑誌、ヴィトラ社の「Chairman」などによりノーデザイン的グラフィックの先駆者として若きデザイナーに与えた影響は測りしれません。独自のウィットに富んだ時計(僕たちに一番大切なのは仕事が終わる5時)や、ペーパーウェイト(シワくちゃなゴミのような紙だって真の美と成り得る)など、現代の社会問題を取り上げる製品を発表。人気のスカイアンブレラなど、カルマンならではの物語性のあるユーモアはMoMAのコレクションとして、今も生き続けています。
アメリカ人のジョージ・ネルソンは建築デザイナー、編集者、作家、そして教師でもありました。彼はストレージウォールコンセプトやスリングソファを含む、家具デザイン、工業デザイン、展示会のデザイン、そしてその都会的なデザインでよく知られています。長きに渡ってハーマンミラー社に従事し、デザインの誠実さ、そして優れたデザインは市場に受け入れられるという基本理念を貫きました。
エジプト、カイロ生まれ。ヨーロッパ各地で育ち、カナダの工業デザイン事務所で19才から働いた後、ニューヨークにスタジオを開設。200点を超えるデザインはカトラリーやコート掛けから郵便ボックス、香水のパッケージやライトスタンド、食器からハイファッションにも至り、さらにCDのプロデュースまで活動範囲は多岐に渡ります。「ガルボ」という名のゴミ箱は制作開始からわずか2年ですでに200万個以上販売され、カリムの名前をあっという間にポピュラーにしました。T.P.R(サーモ・プラスティック・ラバー)という素材を使ったOH CHAIRやチェスセット、アクリルを使ったドミノセットなども収録された著作の「I Want to Change the World」というタイトルからは、世界をポップに変えたいという彼のデザイン観が伝わってきます。新鮮でキュートな作品はMoMAだけでなく、サンフランシスコ近代美術館、モントリオール装飾芸術美術館などのコレクションにも収められています。
フランス、パリ生まれ。パリ装飾美術学校を卒業後、ピエール・カルダンのスタジオでアートディレクターとしてキャリアをスタート。1970年代にさまざまなレストランやクラブ、カフェのインテリアを手がけて人気を集め、1979年にはアメリカにスタルク・プロダクツ社を設立します。1980年代に入るとパリ、エリゼ宮内のミッテラン大統領専用室インテリア、レ・アール地区の「カフェ・コスト」プロジェクトに参加。このカフェのためにデザインした椅子COSTEによって、彼の名はさらに広く知られるようになります。ニューヨークのロイヤルトンホテル、パラマウントホテルに代表されるインテリアデザインにはじまり、カルテル社やドリアデ社、フロス社の家具や照明器具、ドーム社のクリスタルやアレッシィ社のキッチン用品など、多様なデザインフィールドで独創的な表現を続けています。